本日はトイレの話。
といっても、食事中に読んでも、ちっとも不快にならない話です(笑)
視覚障害のあるよーすけのトイレ事情から、日本と海外での文化の違いが垣間見えたので紹介します!
初めての場所でのトイレは、苦労の連続
(友人)
よーすけは、うちらと一緒にいるときは俺とトイレ行くから迷うことないだろうけど、一人だと大変だよね?
そうなんだよね。迷路みたいなトイレもあるからさー。
一人だと小便器まで間に合うか心配になるときもしばしば(笑)
個室でも、流すボタンが場所によって違うから、それを探すのに苦労したりするんだよね~。
(友人妻)
そうだよね。
施設によって違うから、覚えるにしても難しいよね。
非常ボタンもトイレにあるけど、間違って押しちゃったことはないの?
あるある。視覚障害者あるあるの一つだよ。
日常的に使う、家のトイレは大丈夫だけれど、普段使い慣れていない場所や、初めて行った施設では困ることが多いトイレ・・・
車椅子用トイレを使うこともありますが、車椅子利用の方など、他にも使いたい人がいると思うと、悩ましい部分でもあるんだとか。
どんな設備や環境があると、見えない人もスムーズにトイレを利用できるんでしょうか?
困ったときは人に聞くのが一番?
(妻)
誰かと出かけるときは、サポートしてもらえる人が近くにいるけど、一人で出かける時は、どうやってトイレを利用しているの?
わかんない時は人に聞くこともあるよ。
店員さんとか、スタッフさんとかにね。
あとは、並んでいるようだったら、列にいる人に最後尾を聞いたりとかね。
(友人)
みんなが親切に教えてくれるといいんだけどね~。
小便器のところにいる人に杖が当たったりすると、「お邪魔して申し訳ない」という気持ちや、「驚かしちゃってごめんなさい」っていう気持ちになるんだよね。
だからとても気を遣うんだけど・・・
でも、その人自身に突っ込んでしまうよりはマシなのかな〜とは、思うようにしてるんだけどね~(汗)
最近の駅や公共施設では、トイレを知らせる自動音声アナウンスが増えてきて、場所を探すことに苦労はしなくなってきたりもしています。
トイレの前に、中の構造を示す点字の地図があるところも多くなっているので、そんな設備が整っているととても助かるようです。
それでも、”増えてきた”という段階で、全てのトイレが整っているわけではなく・・・
迷いなく利用することが困難で、周囲に確認してから入るようにしているんだとか。
”社会の障害”は、まだまだ多いみたいです・・・(汗)
トイレには神様がいるんやで〜♪
(妻)
日本だとあまりないんですが、海外のトイレだとなぜか、よーすけを誘導しながら一緒に出てきてくれる方々がいるんですよ~!
(友人妻)
そうなの?
海外だとトイレで仲良くなる文化があるのかな(笑)
特にアメリカのディズニーワールドに行ったときは本当に助かったよ。
毎回トイレに一人で行くと、トイレを利用している僕たちと同じゲストが、「困ってることあれば助けようか?」って向こうから話しかけてくれるんだよね。
もっと親切な人は、仲間が俺のことを案内している間に、わざわざ外に出て待っていたゆーなに「案内してるから安心して」って言ってくれてさ。
(妻)
そうなんです!
英語がわからない私にも、ジェスチャーで教えてくれたんですよ!
アメリカって困ってる人や頑張ってる人を応援する文化があるんだなって感じました。
(友人妻)
それ、とっても素晴らしいね!
日本でも、きっと声をかけたいって思う人はいるんだろうけど、なかなか一歩を踏み出せずに、結局見守って終わってしまったり、ためらったりすることの方が多いのかも。
それはあるかも。
日本でも最近は、いろんな人が声をかけてくれるから過ごしやすくなったけど、その時のディズニーでの体験は、自分としても本当に衝撃的だったよ。
(友人)
やっぱりトイレには神様がいたんだね〜。
(友人妻)
何、上手いこといってるの(笑)
日本とアメリカでのよーすけの体験から、手を差し伸べると言う部分で文化の違いも感じられたトイレの話。
アメリカでも、日本と同じように差別的な表現を無くしていく取り組みや、障害者を弱者と捉えない文化もあるんだそうです。
例えば言葉での表現を、障害者「disabled persons」ではなく、障害と共に生きている人「people with disabilities」このような表現にすることで、peopleという言葉が前に来るので、【人】が主役になります。
”障害者である以前に一人の人間である”という考え方です。
上記の捉え方はアメリカの一例ですが、日本でも表現の違いがあるように、アメリカでも障害をどうとらえるのかが変わってきているのですね。
一歩踏み出す、心遣いの大切さ
(友人妻)
よーすけくんの体験した心遣いは、本当に素晴らしいよね。
もしこちらも声をかけなかったとして、いきなり後ろから杖でつんつんってされたらびっくりしてしまうし、ほんの少しの気遣いで、お互いに気持ちよくトイレを利用できるよね。
機能や設備を充実させていくことは最低限大切だけれど、一番は、”声掛けをしてもらえる”という心遣いはやっぱり嬉しいなって思うよ。
アメリカのように出口まで誘導してもらうことは難しくても、「私の右側あいてますよ」とか、「今いっぱいですよ」とか、そんな一言だけでもありがたいんだよね。
(友人)
それだったら、誰もが今すぐにできそうだね!
そんな一言を声にだせる人が、もっともっと増えたらいいね!
トイレが終わるまで全て案内をしたり、外で待つパートナーに「安心して!」と伝えることまでは難しくても、「右が空いていますよ」や「ここが最後尾ですよ」という声掛けであれば、誰もが簡単にできる配慮ですね。
ちょっとした心遣いが大切なんだなと、あらためて感じました。
このブログをご覧になったみなさんも、同じような場面がもしあったら・・・一歩踏み出して一言、心遣いをしてもらえたら嬉しいです!
今回のような、”視覚障害者あるあるの話”は、トイレエピソード以外にも紹介していきたいな〜と思います!
このブログを読んでくださっているみなさんの興味がある”あるある話”があれば、ぜひ公式ツイッターやInstagram、問合せページを通じて、お気軽にご要望聞かせてくださいね♪