はじめまして!
今回から、ライターとしてWith Blindの活動に携わることになりました、リコと申します。30代女性で、健常者の夫、小学生の息子、トイプードルと一緒に暮らしています。
まずは簡単なプロフィールから。
リコのプロフィール
- 名前:リコ
- 年齢:30代
- 性別;女性
- 家族構成;夫・小学生の息子・トイプードル
- 障害;オーディトリー・ニューロパシー 視覚障害(弱視)・聴覚障害(難聴)
やりたいことはなんでもやる弱視児だったわたし
私は、ごくごく一般的な家庭に3人兄弟の末っ子として生まれました。
小さいときは、家族の後ろを追いかけ元気に走り回っていたので、両親は目が見えづらいことに気づかなかったそうです。
しかし、あるとき祖母が
「リコちゃんはよく足をぶつけるね」
「テレビに顔を近づけすぎじゃない?」
と母たちに話したことをキッカケに、検査をしてみることに。
「3歳くらいの子どもはよくぶつかるし、テレビも近くで見る、問題ないはずよ」と母たちは思っていたそうですが、視覚障害の弱視(ロービジョン)であることが判明。
まさかの診断結果に、両親はとてもびっくりしたと言っていました。
帰りの車の中で、自然と涙が出てきた母。
しかし、ポカンとした顔をして座っている私を見て、「この子にとってはこれが基本の見え方なのだから、この見え方の世界で何でもできるようにすればいいのよ!見えてても見えてなくても育てることは一緒」と思ったとか。
そんなわけで、本当に「見えてる子と変わらず」育てられた私は、広々とした公園を走り回り、安全な場所を選んで一輪車に乗らせてもらい、木登りを楽しみ、元気いっぱいな子ども時代を過ごしました。
お転婆すぎて、アパートの二階部分の乗ってはいけないところによじ登り、忍者部屋と名付けて遊んでいたことも・・・。
学生時代
兄たちと同じ地域の学校で育てたいという両親の教育方針で、幼稚園・小学校・中学校と地域の通常学級に通いながら弱視学級にも通級。
通常学級では、一番前の席で傾斜机や拡大読書器を使用して、見えている友達と一緒に学びました。
通常学級でついていくことが難しい実験や苦手な科目は、弱視学級でのフォローを受けられる。とてもありがたいことでした。
中学校では、県大会に出場する強豪チームの新体操部に入部。
チームメイトたちは県大会・関東大会を目指し日々猛練習。
とても厳しくスパルタな新体操部でした。
私も、そんな厳しい部活で日々バーレッスンや筋トレ、ランニングなどの練習メニューをこなしながらも、個人競技のリボンをのんびりとマイペースに踊る日々でした。
弱視がある私にとって、団体競技は難しかったのですが、一人で踊る個人競技は合っていました。自分自身と向き合い、踊りを上達させることのできるリボン競技に出逢えて、踊ることが大好きになりました。
高校では、英語に強い進学校に進み、大学では英語文学が学べる大学で、英米児童文学や日本語教員の勉強をしました。
踊ることが好きだった私は、大学ではYOSAKOI祭りに参加するYOSAKOIサークルに所属し、踊りを楽しんでいました。
在学中は、韓国やフィリピンへ体験学習に行き、その国の家庭でホームステイを経験したりもしました。
大学卒業後
大学卒業後は、大手飲料メーカーやIT企業、福祉企業などで事務員として働いてきました。
現在は、子どもを育てながら仕事をしつつ、福祉に関わる活動の幅を広げていこうと日々頑張っています。
弱視のママ~やんちゃな男の子と子育てをのびのびと
子どもは小学校2年生の男の子が一人います。
幼少期から、とても元気で明るく、社交性のある息子。
元気なことは素晴らしいことで彼の最大の長所なのですが、弱視(ロービジョン)の私は、少ない視力で息子の命を守ることに必死でした!
「弱視なのに、子育て難易度高すぎる!」
と思うほど、毎日元気に走り回る息子を追いかけ、一日が終わる頃には「今日も無事に一日が終わった…」と安堵する日々。
私の願いは、母親が視覚障害があることを気にしすぎずに、自然にのびのびと大きくなってほしい。
ずっとそう思っていたので、自分ができないことは行政のサポートや周囲の人に助けてもらいながら、息子は困ることのないように工夫しながら子育てしてきました。
ブログでは、そんな息子とのことも書いていけたらいいなと思っています。
オーディトリー・ニューロパシーのこと~そして伝えていきたい想い~
障害について詳しく説明すると、私の障害はオーディトリー・ニューロパシーという、言葉の聞き取りが非常に悪い聴覚障害と、その二次障害である視覚障害があります。
視力は、両目共に0.01ほど、人の顔は近くに来ればわかりますが、離れてしまうと誰が誰だかわからない。
文字は顔を近づけて、弱視用メガネや拡大読書機を使用して読み書きします。
先天性の弱視で、自然豊かな街でのびのびと走り回りながら育ったためか、一見見えているように歩くことができます。
しかし、ときどき、電柱にぶつかったりして、そんなときにもっと注意深く歩かなきゃな~と思うことも。
聴覚障害については、静かな所での一対一の会話はできますが、賑やかな場所での会話や多人数での会話が難しく、さらにマイクや電話などの機械越しの声が聞き取りづらい状態です。
そんな見えづらさと聞こえづらさは、これまでの30数年間、どちらも私にとっては、ごくごく自然な形で自分の人生について回る問題でした。
まとめ
結婚をして、子どもを出産して、一人の人間を育てるようになったとき、この子を育てるということは、同時に自分自身のことも深く見つめ直し、周りのことをもっと知っていかなくちゃいけないと思うようになりました。
見える人と見えない人では、見える人が多いこの世界。
聴こえる人と聴こえない人では、聴こえる人が多いこの世界。
そんな世界で、少ないけれど、確実に私たちも生きています。
決して人数が多くはなくても、確かにこの世界で暮らす一人一人が、今よりももっと生きやすく暮らしやすい世の中にするために。
私も微力ながら行動していきたいと思っています。
そんな考えの元、現在様々な活動をしています。
個人的な活動として、noteで視覚障害・聴覚障害に関することや、子育てにまつわるエッセイを書いたりもしています。
With Blindの「誰かの困ったや知りたいに寄り添い解決する」「見えても、見えなくても楽しい!」というコンセプトに共感し、一緒に情報発信をしていきたいなと思いました。
視覚障害は情報障害とも言われ続けています。
ですが、この情報溢れる時代、視覚障害があっても必要な情報を手に入れる仕組みや手段は整えていけると信じています。
With Blindの、障害者向け 総合レビューサイト『Vi-log』のような発想はとっても素晴らしく、今後もっと発展していけばいいなと願っています。
ブログ発信もとても大きな意義があると思います。
今後、私も「見えづらい」や「聞こえづらい」視点の投稿をしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします♪