皆さん、こんにちは。一般社団法人With Blindのよーすけです。今回は、私が視覚障害者として15年間の大学生活や社会人生活を通じて感じたことを率直にお伝えしたいと思います。私たち視覚障害者が働く場面で直面する偏見や誤解について、少しでも皆さんに理解していただければ幸いです。
これは私が転職の際や、就職の際に経験したことの全てです。そして、他の視覚障害者も同じ経験を多くしているようでした。
これまで起こった事実に目を向けてもらえたら嬉しいと思っています。
そして、明日からの行動につなげてほしいと考えています。私たち視覚障害者も前に進むために行動したいと思いますので。
視覚障害者は無能なのか
冒頭でとてつもない議論を巻き起こしそうな問いを書きました。しかし、この問いについて、一緒に本気で考えてほしいんです。
視覚障害者として生活していると、日々感じるのは、視覚障害に対する社会の目がまだまだ本質的に変わっていないということです。ここ15年ほど、大学や社会で様々な企業を見てきましたが、確かに一部では変化が見られるものの、私たちが望むスピードとは程遠いのです。
ある時、とある面接で面接官から「視覚障害があるとマネージメントは難しいだろう」と言われたことがあります。私は心の中で強い抵抗を感じました。そして、心の中で大号泣しました。チームリーダーとしても、個人としても何度もプロジェクトを成功させた経験があり、他のメンバーからも信頼を得ていると自負していました。しかし、視覚障害があるというだけで、能力を正当に評価されない現実がそこにはあったのです。
渦巻く偏見が成果を台無しにする
このような偏見がもたらす影響は、決して私一人の問題ではありません。視覚障害者や他の障害を持つ人々が昇進やキャリアアップの機会を得ることが難しい現実は、日本全体の問題と言えます。
とある調査によると、視覚障害を持つ人のうち、管理職として働いている人の割合はわずか2%に過ぎません。この数値は、一般の健常者の管理職就任率と比べて極めて低いものです。また、障害者のキャリアアップに関する調査では、約60%の障害者が「昇進やキャリアアップの機会が少ない」と感じていることが明らかになっています。
これらのデータは、私たちが感じている不満や不安が、決して個人的な問題ではなく、社会全体の構造的な問題であることを示しています。
では、いったい誰がこの構造を作り出しているのでしょうか。
思考停止を招かないために事例を紹介
本題に入る前に、視覚障害者が無能なのかという問いに答えたいと思います。
あるプロジェクトで、私はチームリーダーとして参加しました。プロジェクトは複雑で、各メンバーの役割分担やスケジュール管理が重要なポイントでした。見えないというハンディキャップがあるため、チームメンバーとのコミュニケーションは一層慎重に行いました。
毎週のミーティングで進捗状況を確認し、課題があればその場で議論することで、チーム全体が一丸となり、プロジェクトは予定より早く、高品質で完了しました。 それにもかかわらず、その後の面談では「視覚障害があるため、マネージメント業務が難しいのではないか」という言葉を再び耳にしました。成果を上げたとしても、視覚障害があるというだけで不安視されることは、本当に辛い経験でした。
偏見が齎す過剰配慮
視覚障害と聞くと、多くの方は「大変だろう」「かわいそうに」といった感情を抱くかもしれません。私たちの生活や仕事の様子すら適切に想像することができず、誤った考えで過剰な配慮をしてしまうこともあるようです。もちろん、視覚に障害があることは、見える人には見えない不便さや難しさがあるのは事実です。だからと言って、見えないことを理由に何でもしていいわけではないです。
誤った理解、過剰な配慮によって、必要以上のことをされると、かえって私たちは疲れてしまいます。
友達、恋人、家族の間でも過剰な配慮はあります。お互いのコミュニケーションが適切に行われ、誤った理解や偏見がなければ、このようなことは生じないはずなんです!
「視覚障害者のくせに」と思ってしまったり、「配慮されているだけありがたいと思え」と感じてしまったりしていませんか?
それがもう偏見であり、過剰配慮なんです。
例えば、ある会社で面接を受けた際に、面接官から「視覚障害者は何ができるのか?」と尋ねられました。正直に言って、この質問にはかなりの違和感を覚えました。まるで、私たちが何もできない、あるいは限定的なことしかできないかのように扱われているように感じたからです。
その面接官が視覚障害者のことを十二分に知らなかったとするならば、質問の内容はもっと適切なものに変えてもよかったと思います。
障害者が健常者以上に能力があって、健常者以上にできることが多いといけないのでしょうか。何ができるのかというのは、できないことが多いと思っている前提がないと出てこない質問ですから、すごく違和感がありました。
「あなたも、女性というだけで、男性というだけで、年寄りというだけで、誤った解釈をされると困りませんか?」という質問を投げかけたい気持ちになります。私たちは、視覚に障害があるだけで、見えない・見えにくいだけです。それなのに、過剰な配慮や特別扱いをされると、心が疲れてしまいます。
視覚障害者からの要望
視覚障害がある人に対して、こう尋ねてほしいんです。「できることよりも、できないことを教えてください」と。そして、その配慮の方法を知っていれば、視覚障害者も仕事ができるはずですから、「どのように配慮すればいいか、教えてほしい。」と尋ねてほしいです。このように聞かれると、視覚障害者は「対等に見られているんだな」と感じるはずです。
逆に、「何ができるのか?」と聞かれると、正直なところ疲れてしまいますし、気分も良くありません。あなたも「何ができるのか?」と問われると、気分が良くないのではありませんか?何ができるのかを尋ねられて、喜んで答えたくなる瞬間というのは、自分の給料が上がるときや、昇進のときくらいではないでしょうか。
視覚障害を補うためのテクノロジーも進化しているのですから、もういい加減にスタンスを変えてほしい!
こうやって文章で強く書いたとしても、明日には忘れてしまうことでしょう。
自分とは関係ないことだと思ってしまうことでしょう。
そして、違ったことに議論が行ってしまうこともあるかもしれません。
きちんと理解するためにも、本質を見てもらいたいんです。障害があるからとか、見えないとか見えにくいとかを変な理由にするのではなく。
本質的に視覚障害者を理解するために
本質を見てほしいというのはいったいどういうことなのでしょうか。
視覚障害者というだけで、可能性を制限されたり、過剰に保護されたりするのは、もう終わりにしませんか?私たちは、視覚障害という一つの特徴を持つだけであり、それが私たちの能力や可能性を制約するものではありません。
私たち視覚障害者は、見える人のために多くの工夫を凝らしています。見えない中で見える人にも分かるような資料を作り、見える人のために話し、見える人のために気を遣って仕事をしています。だからこそ、もっと私たちにも寄り添ってほしいのです。
どうか、私たちを普通の一人の人間として、仕事仲間として、そして対等なパートナーとして見ていただきたい。視覚障害があっても、私たちは多くのことを成し遂げることができると自信を持っています。そして、共に働くことで、あなた方と共に新たな可能性を切り拓いていけると信じています。
イノベーションも起こせると信じています。
人手不足が叫ばれる今こそ、視覚障害者のような多様な人材を活用し、新たな常識を築いていくことが、日本企業にとって必要不可欠ではないでしょうか。
私たちの存在が、ただの「配慮の対象」ではなく、対等な仲間として受け入れられることを願ってやみません。これからも、私たちと共に歩んでいただけることを期待しています。